化学物質による公害病の原因物質曝露の訴訟上の立証に関する問題点

※作成時の法律、判例に基づく記事であり、作成後の法改正、判例変更等は反映しておりません。

化学物質を原因物質とする公害病患者が訴訟上の救済を求める方法としては、どのような訴訟を提起することとなるのでしょうか。

この種の訴訟として提訴件数の多い水俣病を例にとってみることとします。水俣病訴訟としては、大きく分けると、「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」、「公害健康被害の補償等に関する法律」等の救済法の救済対象であることの認定義務付け訴訟と損害賠償請求訴訟(国及び熊本県に対する国家賠償法基づく請求を含む)が提起されてきました。
しかし、いずれの訴訟形態においても、水俣病公害(訴訟上の因果関係の説明をする関係から、ここでは、水俣病を引き起こした八代海のメチル水銀汚染状況を「水俣病公害」と呼ぶこととします。)により公害病に罹患したことを立証する責任を公害被害者が原則として負うこととなります。水俣病はチッソ水俣工場の排出したメチル水銀を体内へ摂取することにより生じたメチル水銀中毒症とされることから、裁判上は、原告がチッソの排出したメチル水銀に相当程度曝露していたことを立証する必要があります。

ところで、水俣病患者の中には、胎児の時に母体内で胎盤を通じてメチル水銀を体内に取り込んだ「胎児性水俣病患者」も多数存在するのですが、ここでは、胎児性水俣病患者以外の出生後にメチル水銀に曝露することにより発症した水俣病患者について述べることとします。

そうすると、ここで述べる水俣病被害者が水俣病に罹患していることを証明するには、①どの程度メチル水銀汚染された魚介類を②原告がどの程度摂食したかということを証明していく必要があります。
しかし、①に関する証拠は、水俣病公害当時の熊本県沿岸海域の魚介類のメチル水銀汚染状況(尚、当時はメチル水銀のみの測定は出来なかったようで、水銀含有量のデータしか残っていないが、当時の魚介類の体内の水銀は大部分がメチル水銀であったとされている(赤木洋勝「ジチゾン抽出-ガスクロマトグラフィーによる魚介類中メチル水銀の分析」日本衛生学雑誌第40巻第1号、p.293))に関しても十分に残っているわけではありませんが、鹿児島県の沿岸海域の魚介類のメチル水銀化合物汚染データは、「元々存在しないのか」「存在したが保管されなかった」のかは不明ですが、現在において殆ど存在しないとされております。
そうすると、メチル水銀化合物を排出したチッソ水俣工場の所在した水俣市は鹿児島県出水市に隣接しており、出水市でも多くの方が水俣病に罹患されているにもかかわらず、このように水俣病公害当時の測定データは殆ど現存しておらず、また、新たに水俣病公害当時の魚介類の汚染状況のデータを採取することは困難であることから、現状において、出水市沿岸海域の水俣病公害当時のメチル水銀汚染状況の立証は困難であることとなります。

また、②に関しても、メチル水銀汚染された魚介類(通常はメチル水銀汚染海域で漁獲された魚介類とされます。漁獲された海域が汚染海域と言えるかについてはトートロジーですが、①の立証の問題となります。)をどの程度摂食したかについては、客観的な証拠は存在しておらず、今日では、当事者の証言以外の証拠採取は困難です。

更に、公害発生から間もない時に問題となった急性メチル水銀中毒症と異なり、慢性・遅発性メチル水銀中毒症患者においては、メチル水銀曝露の時期から発症までの間に相当期間が経過していることもあり、当時の食生活の記憶も薄れており厳密な証明は困難というしかありません。
特に、水俣病公害は、当時は被害者は原因すら知り得なかったことから、①及び②の証拠を保全しておく誘因はなく、訴訟による被害者救済を困難にしていると言えます。

この水俣病の訴訟上の問題点からすると、化学物質による公害が認知された段階で、想定されるより広範な地域で環境測定の結果の保全及び原因物質の曝露状況の記録を保全しておくことが肝要なのかもしれません。

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