尾白川渓谷滑落事故にみる軽装トレッキングツアーでの事故の法的責任

※作成時の法律、判例に基づく記事であり、作成後の法改正、判例変更等は反映しておりません。

尾白川渓谷滑落事故の概要

ここでは、ⅺ)尾白川渓谷滑落事故についてみてみます。

この事故は、平成27年10月31日に尾白川渓谷のトレッキング(往復約5km)日帰りバスツアーに参加し、健脚チームを選択した70歳位の人が渓谷道から足を踏み外し、約50m滑落して死亡したものです。

事故後、被害者(以下「A」といいます。)の遺族は、当該バスツアーの企画・募集会社(以下「甲」といいます。)に対し、旅行契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)に基づく損害賠償請求を求め提訴しました。
しかし、1審裁判所はこの請求を棄却しています。

裁判所の判断

原告が主張した安全配慮義務の内容

この事故の裁判において、原告は、

被告は,Aに対し,本件旅行契約に基づき,Aの生命,身体及び健康を危険から保護するように配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っていた。そして,尾白川渓谷が本件事故以前にも複数の転落事故が発生している危険性の高い登山道であることを考慮すると,上記安全配慮義務には,下記(ア)ないし(エ)の・・・義務が含まれるというべきところ・・・これらの義務に違反したものである

東京地判令和元年7月31日

として、

(ア)登山経験のない者または高齢者の本件ツアーへの参加を制限すべき義務
(イ)尾白川渓谷の危険性を説明すべき義務
(ウ)十分な知識・経験を有する引率者および適正な人数の引率者を配置すべき義務
(エ)ツアー参加者の身体の状況を把握し,声かけ等をすべき義務

を内容とする安全配慮義務が甲には課せられていたと主張しています。

裁判所の安全配慮義務に関する判断

裁判所は、上記の(ア)登山経験のない者または高齢者の本件ツアーへの参加を制限すべき義務の存否について、

尾白川渓谷におけるトレッキングには、滑落事故等の危険性が一定程度内在していたことは否定できない・・しかし,・・・(そ)のような内在的な危険性は,トレッキング一般につき多かれ少なかれ存在するものと考えられるところ・・・

尾白川渓谷における事故の発生率が他のトレッキングコースと比較して特筆して高いといったような事情なども認めるに足りないというほかないことに照らすと,・・・本件旅行契約に基づき「登山経験のない者又は高齢者(65歳を超える者)」のトレッキングへの参加を制限すべき法的義務を課されるほどの危険性を有するトレッキングコースであるとまでは認めるに足りない

東京地判令和元年7月31日

とし、このトレッキングツアーの内在的危険性の水準が低いことを理由に、主催者が、トレッキング参加者を「登山経験のない者又は高齢者(65歳を超える者)」と制限する義務は存在しなかったとし、(ア)による安全配慮義務違反を否定しています。

この点につきましては、後で再度触れます。

続いて、(イ)尾白川渓谷の危険性を説明すべき義務の存否に関し、

本件ツアーのコースに関しては,本件チラシ・・や本件案内書・・・により,トレッキングの場所が「b山麓」であること,途中に急斜面があること,「約5キロ」の行程に「約4時間」も要することが明示されており,当該コースに滑落などの危険が内在していることは,社会通念上,容易に理解することができるものというべき・・・また,この点を措くとしても,・・・出発地点の駐車場において,本件ツアー参加者を初心者チームと健脚チームに分け,分岐点においても,その先に進むか引き返すのかを参加者に確認をしたものであって,その結果,現に24名の参加者は,分岐点から先には進んでいない・・・点からすれば・・・本件ツアーへの参加者は,被告から説明されて得た情報の他,自らの体調や分岐点までの登山道の状況等を勘案し,自らの意思により分岐点から先へ進むか否かを選択し得たものといえる

東京地判令和元年7月31日

とし、

①チラシやパンフレットの記載から、コースに滑落などの危険が内在していることを容易に理解することができること、

②最初に参加者を初心者チームと健脚チームに分け、更に途中で先に進むか引き返すのかを確認しており、体調、登山道の状況を考慮して分岐点から先へ進むか否かを参加者も選択することができたこと

などから、(イ)尾白川渓谷の危険性を説明すべき義務に反することはないとしています。

続いて(ウ)十分な知識・経験を有する引率者および適正な人数の引率者を配置すべき義務の存否に関しては、

本件事故の発生現場やAが滑落をした原因を証拠上確定することができない。そうすると,被告において,健脚チームに,本件ガイドラインに従った知識及び経験を有し,a渓谷につき充分な経験を有する引率者を,本件ガイド・レシオに従った人数配置していたとしても,本件事故の発生を高度の蓋然性をもって防止することができたものと証拠上認定することは困難であるといわざるを得ない。したがって,仮に,被告が安全配慮義務3を負っており,かつ,同義務の違反が認められたとしても,本件事故との間の因果関係を認めるには足りないものといわざるを得ない

東京地判令和元年7月31日

とし、原告が主張するガイドラインに沿った知識、経験を有する人を、ガイド・レシオに従った人数配置しても、事故発生を防ぐことが困難であったとしています。
そこで、(ウ)十分な知識・経験を有する引率者および適正な人数の引率者を配置することと、本件事故の発生との間には因果関係が存在しないとしています。
これにより、(ウ)による過失の成立を否定しています。

ここでは、裁判所は、ガイドラインに沿った知識、経験を有する人を、ガイド・レシオに従った人数配置していたと認定しているわけではありません。
仮にそのとおりに配置したとしても、本件事故を防ぐことができたとは言い得ないことから、本件事故との関係においては、(ウ)十分な知識・経験を有する引率者および適正な人数の引率者を配置する義務は、問題とならないと考えることができます。

更に(エ)ツアー参加者の身体の状況を把握し,声かけ等をすべき義務の存否に関しては、

本件においては,本件事故の発生現場や,本件事故発生当時のAの体調や疲労度,直接の滑落原因を証拠上確定することができない。そうすると,・・・引率者を留まらせなければならないような特に危険な場所であったなどの事情があるとは断定し難いから・・・義務を負っていたものとは認められない

東京地判令和元年7月31日

などとし、事故現場および事故時のAの状態から、事故時には、被告に、(エ)ツアー参加者の身体の状況を把握し,声かけ等をすべき義務は存在していなかったとしています。

これらにより、原告が主張する(ア)~(エ)の安全配慮義務を否定し、原告の請求を棄却しています。

尾白川渓谷滑落事故の位置付け

尾白川渓谷では多くの事故が発生していますが、有名な観光地でもあることから(近時では飲料メーカーのCMのロケ地としても知られています。)、多くの観光客が訪れています。

ⅺ)尾白川渓谷滑落事故は、下記の記事で扱っている、ⅰ)2006年白馬岳遭難死事件、ⅱ)残雪の八ヶ岳縦走遭難事件およびⅻ)アコンカグア遭難事故とは、登山の難易度という点では大きく異なっています。

また、判決が認定するように、内在する危険性も他の事故と比べ低く、参加者の危険回避に関する主催者への期待も異なるものと思われます。
尚、参加者も他のツアーと異なり登山知識・経験が豊富な人ではないようです。

内在的危険性と安全配慮義務

本件事件の(ア)の安全配慮義務を否定する際、「内在的な危険性は,トレッキング一般につき多かれ少なかれ存在するものと考えられる」と裁判所が述べていることからしますと、トレッキング、登山に内在するリスクが顕在化し死傷の結果が生じた場合においても、一定範囲内のリスクに関しては、そのリスクを回避する法的な安全配慮義務は、主催者には認定されないこととなりそうです。

本件では、特定のツアー引率者に対する過失認定が困難ということもあり、バスツアーの企画・募集会社との間の契約責任に基づき損害賠償請求をおこなったものかと思われます。
しかし、仮に不法行為に基づく請求をおこなった場合においても、ツアーリーダー等に課される注意義務は、一定程度以上の重要性・特異性があるリスクに対するものに限定されることとなりそうです。

尚、本件事件の(ウ)および(エ)の安全配慮義務に関する裁判所の認定部分からは、損害賠償請求事件における証拠の重要性を理解できます。

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