朝日連峰熱射病死亡事故にみる課外活動の登山事故の引率教員の法的責任

※作成時の法律、判例に基づく記事であり、作成後の法改正、判例変更等は反映しておりません。

朝日連峰熱射病死亡事故の概要

ここでは、学校行事としての登山事故のうち、課外活動の場での登山事故であるⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故をみてみます。

この事故は、公立高校の山岳部に所属する高校2年生が、7月下旬に朝日連峰でおこなわれた同部の夏山合宿に参加中、熱射病で死亡した事故です。

この事故のあと、死亡した生徒(以下「A」といいます。)の遺族は、引率同行した教諭3名(以下各々の教諭を「乙」「丙」「丁」といいます。)には共同不法行為が成立するとして、この3名に対し、民法719条・709条に基づく損害賠償を求め、また、高校の設置者である地方公共団体(以下「甲」といいます。)に対しては、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めて訴訟を提起しました。
なお、乙、丙および丁に対する請求と、甲に対する請求は、併合され、ひとつの事件として訴訟提起されています(浦和地判平成12年3月15日)。

この夏山合宿では、前日幕営した朝日鉱泉から7月22日に鳥原山、小朝日岳を経て大朝日小屋に幕営、翌日大朝日岳から平岩山・御影森山を経て朝日鉱泉へ戻る予定となっていました。尚、このコースは健脚向けとはされていますが、毎年多くの高校山岳部が訪れていました。
パーティーの構成は、教諭の乙がチーフリーダー、同じく教諭の丙および丁がサブリーダーであり、後は、山岳部部員が2年生8名、1年生1名の計9名(Aを含んでいます。)となっており、パーティーの総勢は12名でした。

この年は、山形県では7月13日に梅雨明け宣言が出ており、梅雨明けから月末まで、日中の気温が30度を超す日が続き、猛暑小雨で家畜が熱射病で死亡するなどの被害が出ているような状況でした。

事故の位置付け

この事故は、下記の記事で扱ったⅲ)石鎚山転落事故が学校課内行事で発生した事故であったのに対し、課外活動としての山岳部の活動で発生した事故という点に違いがあります。

また、ⅲ)石鎚山転落事故は義務教育である中学での事故、ⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故は高校での事故という違いもあります。
更に、学校行事としての登山で発生したⅲ)石鎚山転落事故と異なり、ⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故は、課外活動としての登山最中に発生したものであることから、事故で死亡した生徒が自らの意思に基づき登山に参加したともいえそうであり、参加への本人の自由意思の程度が異なりそうです。

ただし、一般的には、高校は大学と異なり義務教育の延長のようにとらえられており、中学と高校の違いは大きいとはいえないとも考えられます。
更に、高校の課外活動への参加は、ⅰ)2006年白馬岳遭難死事件、ⅱ)残雪の八ヶ岳縦走遭難事件の商業ツアー登山への参加者が自由意思で参加しているのとは事情が異なり、完全に自由意思で参加しているとは言い切れないところもありそうです。

このⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故では、教員乙がリーダー、サブリーダーを残りの教員の丙および丁が務めていました。
そこで、乙はリーダーとしての注意義務も負っていたと考えられます。
一方、丙及び丁はサブリーダーであることから、同種の注意義務の程度は乙に比べ低かったとも考えられます。

ところで、課外活動も「学校における教育活動及びこれと密接に関連する学校生活関係」に含まれており、本件登山は課外活動である山岳部の夏山合宿であることから、上記のⅲ)石鎚山転落事故を扱った記事で触れました、公立中学の生徒が校内で箒を投げつけられ目を損傷した事故の裁判(仙台地判平成20年7月31日)において、学校教育法上あるいは在学関係から教諭が生徒に対し負うとされた一般的な安全配慮義務は、乙、丙および丁にも課されていたと考えられます(不法行為責任の注意義務も同様に考えられます。)。

そうしますと、乙に関しては、一般的なパーティー登山のリーダーに求められる注意義務と共に、教員として生徒に対し負う注意義務が二重に課されていたと考えることもできそうです。

また、丙及び丁に関しても、少なくとも教員として生徒に負う注意義務に関しては乙と同様に負っていたとも考えられます。

これらのことを念頭に、この事故の裁判の判決をみてみます。
尚、ⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故の裁判では、1審判決後に控訴されず、1審判決が確定しています。

裁判の内容

本件では、Aの体調変化、およびその変化を乙、丙、丁(以下、引率教員3名をあわせて「乙ら」といいます。)が認識し得たのか、あるいは認識していたのかが、乙らの過失を考える上で問題となり得ます。
そこで、判決でも事故前後の事実経過について詳細な認定をおこなっています。

この記事でも少し長めに判決文を引用します。
登山地図を手元にコースタイムなどを参考に引用箇所を読みますと、過失認定に必要なAの体調の変化、および乙らの対応を知ることが出来るかと思われます。

本件パーティーは、翌二二日午前三時三〇分頃起床して朝食をとり、予定から約一時間遅れた午前六時ころ・・・出発した。同日の気候は猛暑で、部員らは途中の沢に頭をつっこんだり、帽子に水を入れてかぶるなどして暑さをしのいだ。

鳥原山に向かう途中の金山沢を過ぎたあたりで、Aと部員E(以下「部員E」という。)が暑さと疲労のため本件パーティーから遅れ始めた。そこで、被告乙は、Aのザックを自分の軽いザックと交換し、A及び部員Eに付き添って歩行し、右三名以外のメンバーは先に鳥原山山頂に向かった。

Aらを除く本件パーティーが鳥原小屋付近に到着したころには、Aらは三〇分程度離されていた。鳥原山山頂に到着した部員F(以下「F」という。)、同D(以下「D」という。)は、・・・遅れているAらの応援のために再び下山してAらの下に赴いた。Aは、応援のために下山してきたFとDにザックを持ってもらい、鳥原山山頂まで空身で登った。

A、部員E及び被告乙は、当初の予定時刻から約四時間遅れた正午ころ、本件パーティーの中で最も遅れて鳥原山山頂に到着した。Aらと部員Eは、同所で約三〇分間休憩し、その間、パンの昼食をとり、木道の上に横になって休んだ。

本件パーティーは、午後〇時三〇分ころ、小朝日岳に向けて鳥原山山頂を出発した。その際、鳥原山山頂までの行程でペースが遅れていたA、部員E及び部員G(以下「G」という。)の三名は最後尾で出発し、被告丙が右三名の後に付いて歩行した。出発の際、Aと部員Eは、荷物のうち団体装備部分の一部を他の部員に持ってもらい、ザックを軽くした。Aと部員Eは、出発後しばらくして遅れ始めた。Aと部員Eが小朝日岳に到着した際には、G及び被告丙以外の本件パーティーは既に出発していた後であったが・・・同所で約三〇分休憩してから出発した。・・・その後、銀玉水に到着し、同所で水の補給を行い休憩を取って同所を出発した。同所に到着した時点においてAと被告乙のペースが遅くなっていたことから、同所からは、G及び被告丙は先に行き、被告乙がAと部員Eに付き添って小休憩を入れながら金玉水に向かったが、部員Eは、大朝日小屋が見える所まで来たころ、Aと被告乙と別れて先に金玉水に向かった。その後、Aと被告乙は、金玉水に到着するまでの間、四、五回にわたり各五分程度の休憩を取り、先頭の部員らからは約一時間、部員Eからは約一五分遅れ、午後六時三〇分ころ、金玉水に到着した。

Aらが到着した時点では、他の部員らは既にテントの設営を終え、夕食の準備を開始していた。

Aは、金玉水のテント場に向けてのなだらかな幅広い坂を下りる途中で、極度の疲労のため、ザックを背負ったまま転倒し、その際、眼鏡を破損し、額に擦過傷が生じ、眼鏡はその後使用できなかった。

Aは、被告教諭らから夕食の準備を免除され、他の部員が夕食を作っている間、テントの中で横になって休んだ。その後、Aは、他の部員らとともに夕食を取ったが、被告教諭らから夕食後の片づけを免除された。

Aは、夕食後に行われた本件パーティー全員で行われたミーティングに参加した。被告教諭らは、Aを含めた部員らが疲労していたこと、同日の到着時間が予定よりも大幅に遅れ、翌日も予定時刻よりも遅れることが予想されたことから、予定されていた登山コースを大朝日岳から中ツル尾根を経由し朝日鉱泉に戻るコースに変更した。このコースは、予定のコースよりも歩行時間の短い退避ルートであった・・・

午前四時ころ起床し、朝食をとり、午前五時三〇分ころから午前六時ころの間に、順次幕営地を出発し、午前六時三〇分ころ、大朝日岳山頂に到着した。Aは、部員の中で一番最後に山頂に到着した。

本件パーティーは、同所でしばらく休憩後、下山を開始した。

Aは、先頭から二番目の位置で下山を開始したが、下山開始直後からペースがかなり遅く、二〇分ないし三〇分歩いたころ、極端に遅くなったため他の部員全員に追い抜かれ、被告乙、同丙に付き添われ、ゆっくりしたペースで下山を継続した。他の部員らは、下山開始から約五〇分後に最初の休憩を取っていたところ、しばらく時間が経過した後にAらがようやく追いついた。

被告教諭らは、同所でAについて対応策を相談し、その結果、A以外の部員らを先に二俣まで下山させ、Aについて別行動とし、独自のペースで下山を継続させることを決定した。この決定に基づき、A以外の部員ら及び被告丁は先に二俣まで下山し、Aは、被告乙、同丙に付き添われて下山を継続した。

しかし、大朝日岳から二俣まで中ツル尾根を半分程度下がった坂道途中において、Aの歩行が極端に遅くなったため、被告乙と同丙は、同所でAを休ませることにした。

被告乙及び丙は、同所でAについて対応策を協議し、他の部員の応援を求めることとし、被告丙が二俣に向けて下山を開始した。被告乙は、同所でAの足などをマッサージし、同人を約二時間休憩させた。

被告丙は・・・二俣に到着し、部員らに対し、応援を求めた・・・FとDが二俣から山頂方面に向けて出発し、被告丁も、その後FとDを追って山頂方面に向かつた。A及び被告乙は、少し下山したところで、下から登ってきたF及びDに遭遇し、被告乙、F及びDは、Aを助けながら下山を開始した。

Fは、短時間Aに付き添った後、予想以上に時間がかかることを・・・他の部員らに告げるため、一人で下山した。・・・被告丁が登ってきたため、その後は被告乙、同丁、Dの三人で、Aを助けながら下山を継続した。

下山は、被告乙らがAに肩を貸せる場所ではその方法で行ったが、多くの場所では、急傾斜や道幅が狭く肩を貸せなかったため、上下に補助者を置き、重力に委ねてAの体をずり下ろす方法で行った。Aが動くのが困難になった場所から二俣までの道は、それ以前の下山道に比べ道幅も狭く、勾配も急な箇所が随所に存在したため、下山によってAの体力は著しく消耗し、容態は悪化していった。

Dは、下山開始後、Aが意味不明な言葉を発していることに気づいたが、このことに驚いた同人に対し、被告乙は「もうろくしているんだ」と発言した。下山するにつれて、Aのうわ言などの異常さは徐々に大きくなっていき、「疲れちゃった」などと子供のようなしゃべり方をしたり、テレビゲームの「ファイナルファンタジー云々」などと全く脈絡のない言葉を発した。被告乙らは、Aの意識が朦朧としており、うわ言を発していることを認識していたが、休憩を取るのに適当な場所がないことから、水場があり休憩する場所がある二俣まで下山を継続させた。

Aらは、二俣の吊り橋手前付近まで通常の二倍程の時間をかけて到着したが、Aは、同所で自ら座り込み、動けなくなった。被告教諭らは、Aが一人で吊り橋を渡れない状態にあると判断し、狭く休憩に適さない場所であったが、同所にAを寝かせた。

この時点において部員らが認識したAの状況は・・・ (一)意識障害を起こしうわ言を発し続けていた。(二)目の下に真っ黒な隈ができていた。(三)目つきがにらみつけるように鋭くなった。(四)他の部員を間近に見て、女性と間違えたり、全く無関係の人と間違えたりした。(五)腋下体温を測定したところ、三八度台の高熱状態であった。

被告教諭らは、Aの体温を下げるため、部員らに指示して、二時間程度継続して、Aの額や首周りや脇の下を沢水を含ませたタオルで冷やすなどの冷却措置を行い、Aも落ち着いてきた。

Aの冷却措置を行っている間、被告教諭らは、今後の対応について相談し、その結果、被告丁がナチュラリストの家まで赴き、同所から電話で医師に連絡を取り、Aの状況を説明し、医師の判断を仰ぐことになった。そこで、被告丁は、午後三時三〇分ころ、部員の中で体力的に最も余裕があったDを連れて、ナチュラリストの家に向けて出発した。

その後、Aは、長期間に亘る冷却措置により、目の下の隈や目つきが和らぎ、起き上がることができるようになり、二俣吊り橋手前付近に到着した時点よりも少し症状の改善を見せ始めた。そこで、被告乙と同丙は、テントにおいてAを休養させて回復を待つこととし、被告乙や他の部員らでAを支えながら吊り橋を渡らせ、肩を貸しながらテントの幕営地まで同人を移動させた。テントに移動させた後も、前記と同様の冷却措置は継続された。

他方、ナチュラリストの家に向けて出発した被告丁は、出発から約三〇分後、往復の時間が三時間以上かかり、帰りが遅くなり、暗くなって危険であること、出発時のAが回復に向かっていたことから、二俣に引き返すことにし、Dと共に幕営地まで引き返してきた。

被告丁及びDが戻ったころ、他の部員らは・・・夕食の準備に取りかかり始めていた。その間、Aは、横になって休息していた。

Aは、午後五時ころ、インスタントラーメンの夕食を二口食べたが、テント内で嘔吐し、その後もテント内で休息を続け、少し睡眠を取った。午後六時ころ、テントの外でミーティングが行われ、被告教諭らは、翌朝に下山することを決定した。その際、Aは、テント内で横になったまま、ミーティングの内容を聞き、翌朝朝日鉱泉に行けるかという被告乙からの問いかけに対しては、「ええ」と頷いて返答した。このころのAの腋下体温は、三八度以上であった。

本件パーティーは、午後八時ころに就寝した。就寝前のAの腋下体温は、三七度五分程度であった。被告教諭らは、Aとは別のテントに就寝し、異常があれば同じテントの部員が気付くと考え、就寝から翌朝の起床までの間、Aの経過観察は行わなかった。Aが宿泊したテントには、同人の他部員三名が宿泊したが、就寝時、部員らがAの枕元に三、四枚の濡れタオルをおいたものの、翌朝まで、タオルの取替えなどの措置はとられず、他の部員が行った措置は、部員の一人が夜中に頭から落ちていたタオルを一度再び頭に乗せたことと、夜中にAがふらふらしながらテントの外に小便に出ようとした際にテントの入り口を開けてやった程度であった。Aは、夜中に何度か小便を試みたが、ほとんど出ることはなく、一度血尿のような色の尿が出たのみであった。

Aを除く全員は、翌二四日午前三時ころに起床したが、Aは、腋下体温を測定後、少し眠った。このときのAの腋下体温は、三八度六分程度あったが、その後、午前四時ころにAを起床させ腋下測定したところ、三八度を切っていた。Aは午前四時三〇分ころ出発準備を始め、蜂蜜を溶かした水を少し飲み、チョコレート二かけらを食べた。

被告教諭らは、Aにテントの外を歩かせると、ゆっくりではあったが一人で一〇歩程度歩くことができ、会話もできたので、肩を貸しながらゆっくり歩けば下山可能であると判断し、午前五時五〇分ころ出発させた。

ところが、Aは、出発後三〇〇メートル程進んだ地点、時間にして一〇分も経過しないうちに、歩行できなくなった。被告教諭らは、Aがこのまま下山するのは困難であると判断し、被告丁、同丙及び部員二名がナチュラリストの家に救助を求めに出発するとともに、他の者はAを平地の日陰に寝かせ冷却するなどして看護に当たった。その後、Aの側に残っていた部員Eが、最初に出発した部隊を追って、ヘリコプターでの援助を求めるよう伝えに行った。被告丁らは、午前八時ころナチュラリストの家に到着し、警察にヘリコプターでの救助を依頼した。Aは、午後二時一五分ころ、ヘリコプターに収容されて朝日町立病院に搬送され、同病院に入院し診察治療を受けたが、午後三時二〇分、死亡が確認された。その直接の死亡原因は、熱射病によるショック死であり、それは、脱水と高体温によるものである

浦和地判平成12年3月15日

このように、登山開始から死亡に至るまでのAの体調の変化とそれに対する乙、丙および丁の対応について事実認定をおこななっています。

ここでは、既に登りにおいて、Aは体調を崩し、稜線付近の「金玉水のテント場に向けてのなだらかな幅広い坂を下りる途中で、極度の疲労のため、ザックを背負ったまま転倒」するような状態であったことが認定されており、山行の初期段階で、Aの体調は異常をきたしていたことがわかります。

続いて、乙らの注意義務に関し、

学校行事も教育活動の一環として行われるものである以上、教師がその行事により生じるおそれのある危険から生徒を保護すべき義務を負っており、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うものであることはいうまでもなく、とりわけ、登山活動には天候急変などの自然現象による危険の発生や体力、登山技術の限界などに伴う様々な危険が存在することは公知の事実であるから、登山活動が学校の部活動において行われる場合には、部員を引率する教師は、部員の安全について一層慎重に配慮することが要求され、登山活動の計画立案に当たっては、事前に十分な調査を行い、生徒の体力・技量にあった無理のない計画を立てるとともに、登山活動中においても、部員の健康状態を常に観察し、部員の健康状態に異常が生じないよう、状況に応じて休憩、あるいは無理のないように計画を変更すべきであり、さらに、部員に何らかの異常を発見した場合には、速やかに適切な応急処置をとり、必要な場合には下山させて医療機関への搬送を行うべき注意義務を負っているというべきである。

そして、前記のとおり、熱射病が死亡率の高い重篤な疾病であり、登山における代表的疾患としても一般的に認知されていることからすれば、引率教諭は、登山活動中、部員が熱射病に罹患することがないように十分配慮すべきことはもちろん、部員に体温の過上昇や意識障害その他の異常が現れ、熱射病の罹患が疑われる場合には、直ちに部員を安静にさせ冷却措置などの応急措置を開始するとともに、速やかに医師と連絡をとり、緊急に下山させるための方策をとるべき注意義務を負っているというべきである

浦和地判平成12年3月15日

としています。

ここでは、まず、上記で触れました、学校教育法上あるいは在学関係から教員が生徒に対し負う一般的な安全配慮義務(ここでは、注意義務)を乙らが負っていることに言及しています。

その上で、登山活動という特殊性から、この一般的な注意義務も、「部員を引率する教師は、部員の安全について一層慎重に配慮することが要求され・・・部員に何らかの異常を発見した場合には、速やかに適切な応急処置をとり、必要な場合には下山させて医療機関への搬送を行うべき注意義務を負っているというべきである」として、課外活動の登山山行を引率する教員としての重い注意義務を認定しています。

更に、本件においては、「熱射病が死亡率の高い重篤な疾病であり、登山における代表的疾患としても一般的に認知されていることからすれば、引率教諭は、・・・熱射病の罹患が疑われる場合には、直ちに部員を安静にさせ冷却措置などの応急措置を開始するとともに、速やかに医師と連絡をとり、緊急に下山させるための方策をとるべき注意義務を負っているというべきである」として、熱射病の疑いが生じたときには、

①応急措置
②速やかな医師との連絡
③緊急下山

などの注意義務があることに言及しています。

その上で、本件事故の経緯から、乙らに上記の熱射病が疑われる際の注意義務が生じていたことを認定しています。

本件登山は七月下旬の猛暑の中で実施され・・・登山開始初日から部員の一部に疲労が目立ち、当初の予定よりも大幅に遅れていたことからすれば・・・部員が熱射病などの熱中症に罹患しやすい条件下にあったことが推認され・・・特にAは、部員の中でも特に顕著な疲労を見せていたことが・・・明らかであるから・・・Aに発熱など何らかの異常が認められた場合には、直ちに熱射病などの熱中症の罹患を疑うべき状態にあった・・・Aは・・・大朝日岳山頂から下山を開始してまもなく他の部員からペースが遅れ始め、中ツル尾根の下山途中において歩行が極端に遅くなった上、ついにはうわ言を発して意識障害を生ずるに至り、二俣吊り橋手前付近で・・・三八度以上の高熱を発しており、この時点には、既に熱射病に罹患し、医療機関への搬送が必要な程度にまで重篤な状態に至っていたということができ・・・意識障害や高熱が熱射病の基本的症状であること、二俣吊り橋手前付近におけるAの症状は、外見上も明らかに異常な状態になっていたこと、前日からのAの疲労の状況、当時の猛暑などを総合すれば、被告教諭らは、二俣吊り橋手前付近に到達した時点においては、Aが熱射病に罹患し医療機関への搬送が必要な状態にあることについて十分認識可能であった・・・遅くともこの時点で、直ちにAを安静にして冷却措置などの応急措置をとるとともに、同人を一刻も早く医療機関に搬送するための措置をとるべき注意義務を負っていた・・

浦和地判平成12年3月15日

その上で、

ところが、被告教諭らは、現場で数時間冷却措置を行ったにとどまり、被告Cが医師の判断を仰ぐために一旦はナチュラリストの家に向けて出発するも、これを断念して引き返し、結局医療機関に搬送するための措置をとらなかったのであって、さらにはその後Aに対する冷却措置などの応急措置も十分でないまま、翌二四日朝までほとんど何らの効果的な措置をとらなかったのであるから、被告教諭らは右注意義務に違反したといわなければならない

浦和地判平成12年3月15日

として、乙らが、熱射病が疑われる際に引率教員が負う上記の①および②の注意義務に反していたことを認定しています。

本件事故は公権力の行使に際して発生したものであることから、国家賠償法1条1項が適用され、乙らの過失に関する損害賠償責任は、甲が負うこととなり、公務員個人は直接責任を負わないこととなります。

そこで、本件では、甲に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求は認容されましたが、乙らに対する民法719条及び709条に基づく損害賠償請求は棄却されています。

他の事故の裁判との比較など

このように、高校の課外活動としての登山事故であるⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故の裁判においても、中学の特別活動での事故であるⅲ)石鎚山転落事故の裁判と同様、引率教員の注意義務に関しては、教員として生徒に対し負う注意義務の側面から判断がなされているものと言えます。

ただし、商業ツアーであるⅱ)残雪の八ヶ岳縦走遭難事件の判決において、「登山中の参加者らの状態、動静を十分掌握できる体制を作り・・・登山中リーダー等は・・・体力等の劣る参加者の動静に関心を払い、・・・」と判示していますし、同じく商業ツアーであるⅰ)2006年白馬岳遭難死事件の判決において、「生命や身体に危険が及ぶと予見される場合には、登山を中止するなどの適切な処置等をすべき義務を負っていた」と判示しています。

これらの判示からしますと、仮にⅳ)朝日連峰熱射病死亡事故が、商業ツアーで発生した事故であったとしても、死亡の前日からAの異常な体調不良が外形的事実から知り得たことなどからしますと、リーダーであった乙については、過失が認定される可能性が高いように思われます。

ただし、丙及び丁の過失に関しては不透明です。
本件では、公立高校の教員の過失が問題とされていることから、乙らの個人の損害賠償責任は、原則として、形式的に国家賠償法の適用の関係から棄却されることとなります。
そこで、この事故の裁判では、形式的な問題から、原則として損害賠償責任を負うのは甲のみとなります。
乙ら3人全体の過失の程度は甲の責任に影響することから問題となり得ますが、乙、丙および丁の個々人の過失の程度はあまり問題とはなりません。
そのような事情もあり、本件判決では乙と丙及び丁の過失の相違に関しては深く検討されておらず、仮に本件事故が通常の商業ツアーで発生していたとした場合、リーダーではない丙および丁に過失が認定されるかが不透明ということになるのです。

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