近時は、北アルプスでも携帯の電波圏内である範囲が広がっています。
このこともあり、遭難者が携帯で救助を求めるケースも少なくありません。
しかし、一部の山域では、まだ電波圏外であるところも珍しくはありません。
それでは、そのような電波圏外状態であることは、行政が電波圏拡張を怠った結果であるとして、行政不作為として国家賠償法1条1項において違法と認定され得るものなのでしょうか。
ここでは、そのような電波圏外であったことの国家賠償法上の違法性が争点となった、冬季石鎚山滑落事故の裁判をみながら、山中で電波が届かない区域が残されていることが、行政不作為として、国家賠償法1条1項上、違法となり得るのかについて解説します。
電波のエリア外であることの違法性
近時は、山の中でも携帯の電波が届く区域が広がっています。
しかし、今でも、携帯の電波の届かないところもあり、緊急時の連絡手段を欠く可能性もあります。
仮に、山中の怪我により行動不能となったときに、携帯の電波圏外で救助の要請が出来なかった場合、そのような携帯電波が届かないような区域を残している通信行政は違法であるとして、国に対し責任を問うことは出来るのでしょうか。
これに類似した事項が争点となった裁判としては、24)40年ほど前に冬季の石鎚山において大学のワンダーフォーゲル部部員が滑落した事故(以下「冬季石鎚山滑落事故」といいます。)の訴訟があります。
この裁判では、携帯電話ではありませんが、ラジオの電波が入らなかったことを理由として、国に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求がなされました。
尚、この事故の裁判では、その他にも幾つかの請求原因がありますが、ここでは主に、ラジオの電波に関する請求をみていくこととします。
冬季石鎚山滑落事故
事故の概要
24)冬季石鎚山滑落事故は、3月中旬に私立大学のワンダーフォーゲル部部員4名が、クラブ活動の一環として石鎚山に登り、山頂近くの二の鎖から土小屋方面に向かう途中の二の鎖東方150mの雪面をトラバース中、部員のひとり(以下「A」といいます。)が、約300m下方の岩場まで滑落し死亡した遭難事故です。
この事故に関し、Aの遺族は、
①Aの在籍していた私立大学は、ワンダーフォーゲル部の活動に対する、指導及び安全管理義務を怠っているが、国は、大学に対する行政上の監督権を有しており、同大学のサークルとしてのワンダーフォーゲル活動についての安全基準を設けるべきところ、基本的かつ統一的な基準を設定することなく、適切な時期に大学への通知をおこなわなかった点に職務懈怠が認められる
②事故原因のひとつは、Aらが気象条件の把握ができなかったことにあるが、これはビバーク中に電波障害により携帯用ラジオにより気象情報を確認することができなかったことによるものであり、このような電波障害が生じたことは、自然公園法2条の2に反する(その後、自然公園法は改正されています。)。
などとして、国に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求めました(東京地判昭和58年9月9日)。
尚、この裁判では、遺族の固有の精神的苦痛に対する慰謝料(民法711条)もあわせて請求されています。
行政上の監督権不行為の違法性判断
この裁判において、なぜ、私立大学に対する損害賠償請求がおこなわれなかったのかは明確ではありません。
しかし、この事故と類似の事故で(事故発生時期は後)あり、下記の記事でも扱っております涸沢岳滑落事故の控訴審判決(名古屋高判平成15年3月12日)においては、大学の設置者である国(国立大学登山部の事故でした)の安全配慮義務に関する判断の中で、
大学における課外活動は,学生による自律的な判断に基づき行われるべきであって,大学当局はこの判断を尊重すべきものである。もっとも・・・学生の生命身体に危険が生じることが具体的に予想され,かつ,大学当局においてこれを認識し又は容易に認識し得た場合には・・・指導・助言をするべき義務がある
名古屋高判平成15年3月12日
と判示して、国の責任を否定しています。
この涸沢岳滑落事故控訴審判決の、上記引用箇所の前半で述べられている「大学における課外活動は,学生による自律的な判断に基づき行われるべきであって,大学当局はこの判断を尊重すべきものである」という原則論は、24)冬季石鎚山滑落事故にもあてはまるもので、大学のサークル活動の事故の責任を大学に問うのは原則としては困難なものであると言えます。
そのこともあり、24)冬季石鎚山滑落事故の裁判において、遺族は、私立大学への責任を問うのを諦めたのかもしれません。
24)冬季石鎚山滑落事故の裁判においては、上記の①に関しては、
教育基本法は・・・教育と教育行政とを分離し、教育の目的を遂行するに必要な諸教育条件の整備確立のみを教育行政機関の責務として・・・教育内容についての行政機関の支配介入を排している・・・基本的立場から、法令上、国・・・は、監督庁として、私立大学に関して、その権限を行使するに当たり、法律に別段の定めがある場合を除いては、行政上及び運営上の監督権を行わない・・・こととされており、右に除外される場合を除き、その権限の行使は法的拘束力を伴わない。・・・大学生の課外クラブ活動については、法令上の定めがなく、大学教育課程の中に位置づけられていないもので・・・私立大学の学生と私立大学を設置運営する学校法人との間の在学契約において体育クラブの活動がどのように位置づけられているにせよ、学生の体育クラブに所属しての活動は、法令上、学生の自発的意思に基づく私的活動であつて、監督庁の大学に対する指揮監督権の外にある・・・もつとも・・・課外クラブ活動は厚生補導の対象となるから、法令上、監督庁は、大学に対し・・・援助と助言を与えることができ・・・課外活動がスポーツである場合には、学校安全の向上又は事故防止に関しても大学に対し指導、助言及び援助を与えることができる・・・が、監督庁によるこれらの権限の行使は、前述のとおり、法的拘束力を伴うものではない。・・・また、ワンダーフォーゲル部の冬季の登山活動から生ずる危険の如きは、何人にも容易に予見が可能であるとともに、その防止策も常識の範囲に属するものであつて、公務員の職務上の特別の知識経験によらなければ知り得ないものではなく、監督庁が事故発生防止に役立つ具体的基準を策定して大学に通知することが社会一般の期待するところであるともいえないから・・・具体的作為義務があるともいうことができない・・・のみならず、監督庁が・・・援助と助言を行つたとしても、大学にはこれに従う義務はない・・・し、大学は右援助と助言をまたずともワンダーフォーゲル部の冬季の登山活動による危険の防止策を講ずることは容易であつたから、監督庁が私立大学のワンダーフォーゲル部の冬季登山活動による危険防止に関して具体的な基準を策定し、かつこれを大学に通知することを仮にしなかつたとしても、そのことと本件事故との間に相当因果関係はないものといわなければならない
東京地判昭和58年9月9日
として、①の国家賠償法1条1項の責任を否定しています。
ここでは、
- 教育基本法は、教育内容についての行政機関の支配介入を排除しており、国は、私立大学に対し、法律に定めがある場合を除き、行政上および運営上の監督権を行わない
- 学生の体育クラブに所属しての活動は、監督庁の大学に対する指揮監督権限外であり、援助と助言を与えうるにすぎず、その援助、助言には法的拘束力はない
- したがって、仮に、国が体育クラブの冬季登山に関する危険防止基準を策定、通知していなかったとしても、本件事故との間に相当因果関係はない
などとして、①に関する国の責任を否定しています。
電波のエリア外であることの違法性判断
一方、②の請求に関しては、
自然公園法によれば・・・国定公園の特別地域においては、何人も、拡声機、ラジオ等により著しく騒音を発することは禁じられているのであつて・・・原告は石鎚山のいかなる場所にいかなる設備をして利用者にラジオの聴取を可能ならしめるべきであつたというのかが明らかではないものの、国定公園内においてラジオによる気象情報が聴取できる設備を設けることは、自然環境保全の理念に反し、自然公園法の目的に反するものといわなければならない
東京地判昭和58年9月9日
として、②の請求を退けています。尚、石鎚山は国定公園区域内に所在しています。
しかし、自然公園法で国定公園の特別地域において著しく騒音を発するのが禁じられていることから、ラジオによる気象情報が聴取できる設備を設けることが自然環境保全の理念に反し、自然公園法の目的に反するとするのは、少し無理があるようにも思われます。
この理由付けからしますと、国定公園の特別地域では、電波が入らないような施策を設けることが要請されることになりかねません。
むしろ、財政的制約を理由とした方が、わかりやすかったものと思われます。
また、上記の裁判例の理由付けを携帯電話の電波にあてはめますと、
「国定公園の特別地域においては、何人も、携帯電話等により著しく騒音を発することは禁じられているのであつて・・・国定公園内において携帯電話で通話できる設備を設けることは、自然環境保全の理念に反し、自然公園法の目的に反するものといわなければならない」
ということになりますが、携帯電話が「著しく騒音を発する」ものとは言い難いことから、この点からも、現在の山中の携帯電話の通信エリア拡大に関する国の行政責任否定の理由付けとはならないと思われます。
元々、行政不作為に対する国家賠償法上の違法判断は、行政裁量の問題もあり、ハードルが高いものといえます。
とくに、通信に関しては、民営化されてもおり、携帯電話の通信エリア外であることを理由に、国に、国家賠償法1条1項の責任を求めるのは困難であろうと思われます。