目次
中止犯について
未遂犯と中止犯
刑事事件で、犯罪の実行行為(例えば、殺人犯が被害者の頭を棍棒で殴りつける行為)に着手したものの、何らかの事情により、実行行為の着手時に企図した結果(上記例では死の結果)が発生する前に犯罪を中止した場合、事情によっては刑が軽減または免除されることがあります。
ところで、犯罪の実行行為に着手し、結果が発生した場合、既遂犯となり、実行行為に着手したものの結果が発生しなかった場合は未遂犯となります。
冒頭で述べたように、犯罪行為を結果が発生する前に、犯罪を中止する場合も、実行行為に着手したものの、結果が発生していないことから、未遂犯の一種といえます。
刑法では、未遂犯について、
(未遂減免)
刑法43条
第四十三条 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。
と規定していますが、この刑法43条の後半の「ただし・・・又は免除する。」の部分(この部分を但書(ただし書き)ともいいます。)は、下記で触れます中止犯(中止未遂)といわれる類型を規定した部分です。
中止未遂と障害未遂の区分必要性
この条文をよく読むと、但書の前の本文部分では、未遂犯の場合の刑を「減軽することができる」としていますが、これは、裁判官の裁量により任意的に減刑(刑の種類ごとに条文で定められている刑(法定刑)を刑法68条で規定されている一定の基準で軽くすることです。)することができるという意味です。
一方、但書に該当する場合、刑を、「減軽し、又は免除する」としており、これは、裁判官に刑を減刑あるいは免除することを義務付けるもので、但書に該当する限り、裁判官は、法定刑とおりの刑の判決を下すことは許されず、必ず刑を減刑するか免除しなければなりません。
このように刑の減軽または免除を義務付けていることを「必要的減免」ということもあります。
ところで、但書をみますと、「自己の意思により犯罪を中止したとき」と書かれており、自己の意思ではなく、何らかの事情で犯罪の中止を余儀なくされたような場合は、但書には該当しないことが分かります。
尚、但書に該当する場合、中止犯(中止未遂)といいます。
但書に該当する中止犯となれば、刑は必ず減免されますが、一方、該当しなければ、本文の適用となり、任意的減刑となるにすぎません。
そこで、犯罪に着手したものの途中で犯罪を中止したケースの中止犯該当性が、刑事裁判において大きな争点となることがあります。
このこともあり、犯罪を途中で中止したケースのうち、自分の意思で犯罪を中止した場合を「中止未遂」、自分の意思ではなく何らかの事情により犯罪の中止を余儀なくされた場合を「障害未遂」と呼び、二つのケースを区別します。
また、2人以上で共同して犯罪をおこなうことを共犯といいますが、共犯のうち、ひとりが中止犯と認められる場合、その他の共犯者も必ず中止犯として扱われるのかも問題とされます。
一般的には、共犯者のひとりが「自己の意思により犯罪を中止した」としても、他の共犯者が「自己の意思」で中止したとは言えないような場合、他の共犯者には中止犯は認められません。
これらの問題が裁判上争点となった刑事裁判事件(東京地判昭和40年4月28日)をここではみてみます。
丹沢山中殺人未遂事件
事件の概要
この事件は、昭和30年代の終わりに、証券会社の社員が、顧客を殺害して顧客の株式を勝手に売却し、その代金を奪おうと企て、共犯者と共謀して被害者である顧客を丹沢の山中で殺害しようとしたものです。
実行犯となった共犯者は、殺人の実行行為に着手したものの、犯行途中で被害者に対し憐憫の情を抱くと共に反省悔悟して犯行を中止し、負傷した被害者を近隣の病院へ連れて行き、被害者は一命をとりとめています。
そこで、実行犯の中止犯の成立と、共犯の証券会社社員の中止犯成立が争点となりました。
裁判では、実行犯に対しては中止犯の成立が認定され、共犯の証券会社社員に対しては中止犯は認められていません。
事件の経緯
事件の経緯について、裁判所は次のように認定しています。
尚、以下、証券会社社員である被告人を「甲」、実行犯を「乙」、被害者を「A」といいます。
被告人甲は、・・・本件の発覚により昭和・・・年・・・日退職処分を受けるまで本社営業部・・・に所属し、いわゆるセールスマンとして客の株式売買の仲介及びこれに伴う株券の預り手続等の業務に従事していたもの、被告人乙は・・・株式会社・・・作業所に事務員として勤めていたもので・・・被告人両名は大学の先輩、後輩の関係にあるほか、昭和・・・年頃から約三年間同じ・・・町に住んでいたことがあり、その当時はそれぞれ父親の勤め先が同じ・・・であつたこと及び家が互いに隣同志であつたこと等から親しく交際し、被告人乙の一家が昭和・・・年頃東京に移住した後は一年交際は途絶えていたが、被告人甲が・・・証券に就職し、単身・・・に住むようになつた後の昭和・・・年四月頃、同被告人が被告人乙の家をたずねていつたことから再び交際が始められた。
・・・Aは・・・以前から株の売買をしていた関係から被告人甲と知合つて後は同被告人の顧客となり・・・同被告人を通じ株の取引をするようになつたほか、同被告人との交際が続けられるうちに個人的にも親しくなり・・・同被告人の・・・寮にも屡々遊びに行き、時には泊つて来たりする程の間柄となつた。・・・ところで、被告人両名は共に生来酒好きの上、再会後は主に被告人乙が被告人甲の寮をたずねたり、或いは、喫茶店等で落合うなどして頻繁に会うようになり、会えば殆んど一緒に酒を飲み合つていたが、飲む機会が重なるにつれて給料も少なかつたため遊興費に窮するようになり、おのずから二人の間にもうけ話が話題に上り、そのうち、被告人甲の扱つている客の株を無断で売り払つても、あとその客を殺してしまえばわからないだろうというようなことが冗談半分に口に出るようになり、それが次第に二人の間で真剣に相談されるようになつた。
・・・昭和・・・年六月初め頃・・・喫茶店「・・・」に被告人両名が落合い、話題が再びもうけ話に及んだ際、Aのことが種々話題に上るや、遂に被告人両名はAを殺害してその株を売り払い金に換えようと計画し、更に同月中旬頃までの間に、被告人甲の寮或いは右「・・・」等において、犯跡の残らないような殺害方法についても種々検討を加えた上、登山と称してAを山に誘い出し、遭難を装つて同人を殺害し、死体は山に埋めてしまうこと、場所は東京に近い山がよいということから丹沢山が選ばれ、ここに被告人両名間において、A殺害の共謀が成立した。その後先づ換金を急ぐことに方針を変え、右方針に従つて、被告人甲において、同年同月二五日・・・株一、〇〇〇株を処分して、一二万六、四五六円を入手したほか、同年七月一七日・・・株一、〇〇〇株を処分して四万六、〇一八円、同年八月六日・・・株五〇〇株を処分して五万八一一円、同月一四日・・・株五〇〇株を処分して四万七、五二三円をそれぞれ入手し、得た金は殆んど被告人両名においてバー、キヤバレー等における遊興費に費消した。この頃、Aは、・・・郷里で・・・開業すべく・・・実家に婦り、かたわら地元の自動車教習所に通つていたが、被告人等は、殺害の目的を遂げるため殊更手紙等でAの上京を促せば後日証拠が残ることを虞れ、同人がみずから上京する機会を待つことにしていた。
ところで、同年九月一八日、Aは・・・株を指値九七円で処分すべく、その手続を被告人甲に依頼するため・・・寮を訪れ、同被告人に用件を伝えたが、被告人甲は、当時既に右・・・株は処分した後であつたため・・・今直ぐ処分することは見合わすようにすすめ、Aもこれを了承してその日は寮に泊つた。
翌一九日、被告人甲はAを寮に残して出勤し、被告人乙にAが出て来た旨を伝えると共に、同人に夜寮に来るよう連絡した。そして退社後被告人甲は寮に帰り、Aに対し同人を山に誘い出す口実として、「今夜学生時代の友人で乙という者が来るが、同人の叔父が・・・駅長を退職して一、〇〇〇万円の退職金が入つた。これを乙に貸してくれることになつているが、自分は乙からそのうち六六〇万円位無利息で借りられることになつている。もし借りられたら君と二人で一緒に商売をやろう。」ともちかけた。・・・間もなく寮に来た被告人乙を加え三人で酒を飲み合い、その日は三人共寮に泊つた。
翌二〇日、被告人両名はAを寮に残してそれぞれ出勤したが、被告人甲は・・・株の残り株を全部処分する手続をした上・・・同日夜Aを呼出し、被告人乙と共に三人で・・・バー「・・・」に行き、ビールを飲んだが、途中一旦Aを残して被告人乙と共に席を外し、附近の喫茶店「・・・」に入り、前日Aにした叔父が・・・駅長を退職して一、〇〇〇万円の退職金云々の話の内容を被告人乙に伝えて口裏を合わすことを打合わせた、ところで、被告人甲は被告人乙と共に一旦はA殺害の計画をたてたものの、これまでのAとの関係を考え、その間何度か計画を断念しようかと考えたこともあつたが、ことここに至りもはや引くに引かれぬ立場に立たされるに及んで、みづから手を下すことは避けたいとの気持から、実行方はすべて被告人乙に一任しようと考え、同被告人に対し更に、「Aは山に行くことを実家に手紙で知らせるといつていた。もし知らせると自分はAの実家の人にも知られているので、Aが山から帰らなかつたとき自分とAとの関係から疑われるようになる。自分が寮にいたことをはつきりさせておけば疑われないから、あんた一人で行つてきてくれ。」と頼み、被告人乙も止むなくこれを了承した。再び「・・・」に戻つた被告人両名はAに対し、「明日は土曜日だから丹沢へキヤンプしに行こう。金の話は山で三人で腹を割つて話し合おう。」、「山は何度も行つているが、とてもいい。」等と交々話しかけて登山をすすめ、Aも無利息で大金が借りられる話に魅かれて山に行くことを承諾した。
そこで三人は「・・・」を出て、仲御徒町の通称アメヤ横丁に行き、ツエルトザツク・・・及び円匙(注:スコップのこと)・・・を買い求めた後、被告人乙は翌日の待合わせの時間、場所等を打合わせて別れ、被告人甲とAは・・・に帰り、明朝一〇時に・・・喫茶店「・・・」で落合うことを打合わせた。翌二一日、被告人甲は会社に出勤した後、「・・・」でAに会い、「実は自分も一緒に行く予定だつたが、急に会社の用事ができたので二、三時間遅れて出発する。行く場所は前に何度も行つたことがあるのですぐわかるから、先に乙と一緒に行つていてくれ。」と詐つてAを納得させた。こうして、被告人乙とAは同日午後零時三八分・・・駅を出発したが、被告人乙はかねての計画で犯行場所は丹沢山中でも殆んど登山客の入らない・・・と決めていたため、・・・駅から・・・バスに乗換え、・・・の少し手前で下車した後、・・・に沿つて登り・・・雑木林を越えて同日午後八時頃、道標より約二〇〇米入つた・・・の中洲に至り、同所で野営することとし、右中洲において飲食した後就寝した。
東京地判昭和40年4月28日
翌二二日午前五時頃、目を覚ました被告人乙は、Aが熟睡しているのを認めるや同人を殺害すべく、附近にあつた大人の頭大の石を取り上げ、立つたまま頭の上から三回に亘つてAの頭部に投げ下ろし、更に所携の日本手拭を同人の首に巻いて絞め上げたまま引きずつて、側を流れる沢(水深約二〇乃至三〇糎(注:cm))の水の中に同人の顔を押さえ入れたところ、同人が抵抗し、沢の中を上流に向かつて逃げようとしたので、更に手拳で一回同人の顔面を殴打して水中に顛倒させたが、同人はなおも起き上り、巾約三・五米の流れを渡つて対Aの高さ約二米の崖を丸木橋の支柱を伝つてよじ登り、旧山道に入つて上方に向つて逃げ出した。被告人乙は、Aが傷を負つている様子からみて遠くへは行くまいと考え、しばらくこれを見送つていたが、Aの姿が見えなくなつたとき、前夜道標附近でみた・・・小屋に人のいそうな気配があつたことを思い出し、もしAが右・・・小屋の方に行つたとすれば救いを求められ、ことが発覚すると考え、直ちに下流方向を捜したが見当らなかつたので、更に戻つて右旧山道に入り、道をたどつて捜したところ、中洲より約一四〇米奥にある涸沢を約三五米登つた地点にAがうずくまつているのを認め、殺害の目的を遂げるべく庖丁・・・を携えて近寄つたところ、Aは水に濡れたまま頭から血を流し、茫然とした状態で、被告人乙に対し、「どなたさんですか。」と尋ねた。この様子を見て可哀想に思うと同時にAに対し済まないことをしたと思つた被告人乙は、Aに対する殺害行為を思い止まり、直ちにAを背負つて中洲に戻り約一時間に亘つて、焚火でAの体を暖ため、傷口を縛るためのタオルを与え、濡れた衣服を自己の予備の衣類に着換えさせる等の措置を行なつた上、下山の途につき、途中バスの中で・・・に医者がいることを聞き、直ちに同所で下車して、同日午前九時過ぎ頃・・・医院にAを同行し、縫合等の医療措置を受けさせた後、更に十分な手当を受けさせるため、外科の専門医である・・・の経営する・・・診療所・・・に直行し、同医師の診断を受けさせた結果、頭蓋内出血の疑いが認められたため、同医師の計らいで更にAを・・・大学医学部付属病院に入院させ、医師・・・を主治医として治療が加えられた結果、Aに対しては入院加療二三日間を要する頭蓋内出血を伴う前額部及び後頭部挫創の傷害を負わせたにとどまり、同人を殺害するに至らなかつたものである。
この事案では、甲は殺害の実行行為に直接手を下していませんが、計画の立案、被害者の誘い出しなどの準備は甲がおこなっていることから、共謀共同正犯が成立することに関しては、とくに争いが生じるものではないと思われます。
乙の中止犯成立について
このような経過をたどった事件の実行犯である乙の中止犯の成立に関し、検察官は、
・・・本件殺害行為の中断は、被告人乙において必ずしも悔悟の情に出たものではなく、むしろAの余りの生命力の強さに驚いて殺害行為を継続しなかつたに過ぎないと考えるべきであり、その後においてもAに対する手当等に真摯な努力をしたものとは認められないから、本件は殺人の障碍未遂である
東京地判昭和40年4月28日
と主張しています。
これに対し、裁判所は、
本件犯行が行われた場所並びに時期をみるに、その現場は登山客も殆んど入らない人里離れた山中であり、またその時期は早朝の午前五時頃のことであつて、その近隣には被告人の犯行を知りうる者は皆無といつてもよい状況であり、その上当時現場、殊に涸沢においてはAが抵抗する気力も体力も失なつていたことは、さきに認定したとおりである。従つて、如何にAの生命力が強いといつても被告人乙としてなお犯行を継続し、Aを殺害しようと思えば十分これをなし得る余裕があり、且つ、容易に殺害の目的を遂げえたであろうことは推察するに難くないところである。そして一件証拠を精査しても、被告人乙の犯罪遂行に障碍となるべき事情は他になんらこれを認めることができないこと等(本件現場、殊に涸沢と前記・・・小屋とは相当離れており、犯行が同所にいる・・・等に覚知される可能性は殆どないといつても過言ではあるまい)を併せ考えると、被告人乙が殺害行為を継続しなかつたのは、同被告人の供述するとおり、水に濡れ頭から血を流してうずくまつているAの姿を見て憐憫を覚えて飜意し、自己の行為を反省悔悟したことに因るものと認めるのが相当である。しかしながら、一件証拠によると、被告人乙は右の如くその犯行の遂行を思い止まる前に既にAに暴行を加え、これによりAの頭部に傷害を与えており、その傷は前額部及び後頭部にそれぞれ長さ約四糎の亀裂を生じ、縫合手術を要した上、軽度ではあるが頭蓋内出血を来たし、犯行後約一三時間余を経過して・・・大学医学部付属病院に収容された当時においては、その症状は重症で絶対安静を必要とする状態であつたことが明らかであり、また、同病院において診断治療に当つた医師・・・の当公判廷における供述によれば、「頭蓋内出血が軽度にとどまり、それ以上増大しなかつたのは治療が適切であつたためとも考えられ」たことも認められる。これ等の事実に徴すると、Aが被告人乙のため頭部に受けた前記傷並びにこれに伴う身体障害は相当重症であるから、これを放置して医療措置を講じなかつたとしても死の結果を来たす可能性が全くなかつたとは決して断じ難く、被告人乙が石を以てAの頭部に加えた暴行はAを死に致す可能性ある危険な行為であつたといわなければならない。そうだとすると、被告人乙において、さきに認定したとおりの経緯で犯行を思い止まつたとしても、同被告人について中止未遂の成立が認められるためには、更に既に加えた前記暴行に基く死の結果の発生を積極的に防止する行為に出で、現実に結果の発生を防止し得たことが必要であると考える。そして、右結果発生の防止は、必ずしも犯人が単独でこれに当る必要はなく、他人の助力を受けても犯人自身が防止に当つたと同視するに足る程度の真摯な努力が払われたと認められる場合には、やはり中止未遂の成立を認めうることは、大審院以来の確立した判例である(大判昭和一二年六月二五日刑集一六巻九九八頁。)
ところで、本件においてこれをみるに、前掲証拠によれば、被告人乙が涸沢におけるAの姿を見て爾後の実行々為を中止してから後、同人に対して被告人乙の採つた措置は判示のとおりである。もとより、本件のように医療設備の勿論あり得る筈のない山中において、しかも医療智識のない被告人乙に医学的に完全な応急の医療乃至は救護の処置を期待し得べくもないことは当然であり、本件の如き環境、傷の状況等においては、何よりも先づ早急に医師の診断治療を受けさせること並びにそれまでの間に対処する素人なりの応急措置を採ること等が最善の措置といつてよいであろう。そうだとすると、被告人乙が判示の場合に判示のような措置を採つたのは、被告人なりに出来るだけの努力を尽くしたというべきであり、またその措置は、結果発生防止のため被告人としてなし得る最も適切な措置であつたといつて差支えないと考える。
なるほど、被告人乙が、検察官主張のように、下山に際してAに肩を貸すとか手を貸す等の行為に出た事実は認められないけれども、一件証拠によれば、当時Aは歩行も出来ない程の瀕死の重傷ではなく、他人の手を借りないでも十分に歩けたのである。このような場合においても、被告人乙としては、その行なつた行為を顧みるとき、Aに手を貸してやる程の細心の配慮が望ましいことであり、被告人が若しこの所為に出ていればその中止の努力には更に相当高度の評価を与えうるといいうるであろう。しかし、この場合この所為に出なかつたとしてもそれのみを以て中止行為の真摯性が直ちに失なわれるものとするのは相当ではない。その真摯性は被告人の行為を全般的に観察してこれを評価すべきものと考える。ところで・・・被告人乙は、・・・診療所に行つた際偶々・・・が不在であつたため、直ちにその出先に電話して至急戻つて診療して貰いたい旨連絡したり、・・・大学医学部付属病院にAを収容した際は患者を看護婦と一緒になつて運んだり、その他Aの家族代りになつて一生懸命患者の世話をしていた事実も認められる。もつとも、被告人乙が医師や捜査官の取調に対し検察官が主張するように当初Aの負傷は山で遭難した結果であると詐つていたことは証拠上認められるが、このことは結果の発生防止という点からみれば異質のことであつて、その真摯性を否定するものではないと考える。
以上の諸事実のほか本件に顕われた諸般の情況を総合考察すれば、本件において、被害者Aが死の結果を免れ得たのは、(イ)被告人乙において涸沢におけるAの判示の如き姿を見て憐憫を覚えて飜意し、反省悔悟して爾後の実行々為を任意に中止したこと及び(ロ)Aの頭部の傷については医師等の協力を得たことによるのではあるが、被告人としてはAの死の結果発生の危険を防止するため、素人なりの応急手当を行い、そして、医師の治療をうけるため努力し、医師の適切な措置が行なわれたことによるものと認めるのが相当であり、被告人乙の右(ロ)の行為は畢竟被告人自身その防止に当つたと同視するに足るべき程度の真摯な努力を払つたものであつて、最少限度はその要件を充足しているというべきであり、被告人乙の判示所為は殺人の中止未遂と認めるのが相当である。
東京地判昭和40年4月28日
と、
- 乙が憐憫を覚えて飜意し、反省悔悟して実行行為を任意に中止している
- 医師等の協力を得たことによるのではあるが、死の結果発生の防止にあったたのと同視できる程度の真摯な努力を乙は払っている
として、乙に中止犯の成立を認めています。
甲の中止犯成立に関する検討
一方、甲の中止犯の成立に関しては、裁判所は、
中止犯の効果は中止者個人に専属し、他に効果を及ぼさないもので・・・被告人甲は被告人乙とAを殺害すべく共謀したものであるところ、共犯者たる被告人乙において一旦実行々為に出たにも拘らず、その中途で実行を中止し、結果の発生を防止したことについて被告人甲が干与した事実は一件証拠上認め難いところであるから、被告人甲については中止未遂の成立を認めることはできない。
東京地判昭和40年4月28日
として、甲に中止犯の成立を認めていません。
甲と乙の量刑
しかし、裁判所は、甲は計画の遂行にむしろ消極的であり、乙の積極的な態度に追随せざるを得なかつた事情が窺われないではないなどとして、甲と乙に対し全く同じ量刑の判決を下しています。
このように、共犯で中止犯の成立が問題となり得るケースでは、共犯ごとに中止犯の成立が検討され、中止犯の適用が異なるケースがあることがわかります。
また、直接犯罪の実行行為をおこなった実行犯と、直接実行行為をおこなわなかったものの違いからか、中止犯の成立が認められた実行犯乙と、認められなかった甲の量刑が異ならないという点は、共謀共同正犯の場合の、共犯者各々の量刑を考える参考になろうかと思われます。