信義則、信義誠実という言葉は日常用語としても、使用されることがありますが、法的には、その適用範囲は明確とはいえません。
ここでは、信義則が信義誠実の原則の略語であること、その根拠条文、法的性質、効果、適用類型、権利の濫用との関係などについて解説をした上で、信義則違反が認められた近時の裁判例をみてみます。
目次
信義則違反とは
まず、信義則とは、信義誠実の原則の略語です。
民法をみますと、公布文に続き、
第一編 総則
民法
第一章 通則
(基本原則)
第一条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
2 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
3 権利の濫用は、これを許さない。
と規定されており、この1条の2項の「信義に従い誠実に行わなければならない」という箇所が信義則(信義誠実の原則)を指しています。
この信義則に反することを信義則違反といいます。
信義則違反と一般条項
しかし、上記の第1条2項の条文からは、はたしてどのような場合、信義則違反に該当するのか、信義則違反と認定された場合、法的にはどのような効果が生じるのかは明らかではありません。
このように、どのような行為が該当するかという法律要件、権利の行使方法などが抽象的に規定され、認定に際し、裁判官の裁量が大きく働くような規定を一般条項といいます。
同様の一般条項には、上記で引用した民法1項3項に規定されている権利の濫用、民法90条の公序良俗違反などがあります。
尚、権利の濫用と公序良俗違反に関しては、下記の記事で解説しています。
信義則とは?
たとえば、所有している自転車を、友人から「少し貸して欲しい。」といわれ、「ただで貸してあげるけれども、夕方までには返してね。」といいながら自転車のカギを渡し、これに対し、友人も「助かる。夕方の4時までには返すから。」といってカギを受け取って、自転車に乗っていったような場合、無償であったとしても、契約は成立しています。
この例でも、信頼できない友人であれば貸さないでしょうし、友人も無償で貸してもらえると信じて借りている節もあります。
友人との間において、相互の信頼関係がなければ、このような契約は成り立ちません。
私的契約は、相互の信頼関係があってこそ成り立つものといえます。
このように、私的取引関係は、相互の信頼関係があってこそ成り立つものであることから、私的取引が円滑におこなわれるためにも、相互に、信頼関係を裏切らないよう、誠実に行動することが期待されていると考えることができます。
この原則が、信義則(信義誠実の原則)となり、民法1条2項の条文となっています。
この信義則は、当初、主に契約当事者間において問題とされていました。
しかし、現在は、契約関係のみならず、法の一般原則として幅広い局面で問題とされます。
行政上の法律関係においても、信義則が適用されるケースもあります(最判昭和56年1月27日参照)。
信義則違反と権利の濫用の関係
信義則は、権利行使および義務の履行、いずれの場合においても問題となり得ます。
一方、権利の濫用は、権利の行使において問題となるものです。
しかし、信義則違反と権利の濫用は、重なる範囲も広く、いずれも主張できるケースが少なくありません。
その違いは、あまり明確ではないとされています。
しかしながら、信義則違反が認定されると、そこから権利の濫用などが導かれ、直接は、その導かれた権利の濫用から無効という効力が発生するとする考え方と、信義則違反から直接無効という効力が導き出されるとする見解があります(その他、1条1項との関係を問題とする見解など諸説あります。)。
後者の見解からしますと、信義則違反と権利濫用は別の概念ということになり、併存していることとなります。
信義則が問題とされる局面
信義則が問題とされるケースとしては、
- 義務の履行の有効性が問題となるケース
- 義務の履行との関係で特定の法律関係、契約関係から付随義務が導かれるケース
- 権利の行使において問題とされるケース
があります。
3の権利行使の局面で問題となるケースでは、上記のとおり権利濫用と適用範囲に重なる部分がでてきます。
信義則違反の態様とその効力について
上記の1のケースとしては、債務者の義務履行が、本来の義務の内容と些少の違いがあった場合などで問題となります。
たとえば、返済金が少しだけ足りなかった場合などが考えられます。
このようなケースでは、信義則上、そのような些少の債務履行不足を債権者が債務不履行とすることができるのかが問題となります。
そのような些少の不足を、債権者が債務不履行と主張するのは信義則違反であると認定されると、その信義則違反の効果として、債権者は、その些少の返済金の不足を理由とした抵当権の行使などが認められないこととなったりします。
上記2のケースとしては、不動産の売買契約時の、売り手の不動産販売会社が負うことがある信義則上の説明義務(情報の提供義務)があります。
また、従業員(職員)が業務中に死傷した場合に使用者(会社、国・地方公共団体など)が負う責任としての、「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入つた当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」(最判昭和50年2月25日)としての安全配慮義務などもあります。
このような付随義務が信義則上認められますと、その付随義務を履行しないことが、債務不履行となり得ることとなります。
上記3のケースとしては、債権者の行為から、弁済を遅延しても期限の喪失をすることがないと誤認したような場合、債権者が期限の利益の喪失を援用することが信義則との関係で問題となることがあります。
この場合、期限の利益喪失の援用が信義則違反と認定されますと、債権者は、期限の利益の喪失を主張できなくなります。
信義則違反が問題となった近時の裁判例1
信義則違反が問題となった近時の裁判例としては、被告が所有する建物の一部が越境して、自らが所有する土地の一部を占有していると主張し、原告が、建物収去土地明渡を求めた裁判例(東京地判令和3年5月18日)があります。
この事案では、裁判所は、被告の建物が越境しているという事実は認定できないとした上で、仮定的にではありますが、
・・・なお,越境が原告の主張を前提としても2センチメートルであり,原告は少なくとも22年以上にわたり越境の事実を被告に主張していなかったことを併せ考えれば,仮に,本件建物の増築により越境が生じているとしても,越境しているとされる本件建物の撤去を求める原告の主張は,被告が当該部分の撤去をする費用等を考慮すれば被告の利益を著しく損なうものであり,信義誠実の原則に反し,権利の濫用に当たるというべきである。
東京地判令和3年5月18日
と判示しています。
これは、他人の所有権を不当に侵害してはならないという義務に対する被告の義務違反の事案と考えますと、上記1の些少の債務不履行の問題に該当するとも考えられます。
しかし、原告の所有権に基づく妨害排除請求権の行使との関係で考えますと、上記3に該当するともいい得ます。
裁判所は、上記3の視点と関係して、「信義誠実の原則に反し,権利の濫用に当たるというべき」と判示し、土地所有権に基づく権利行使としての、建物収去請求を信義則違反としながら、直接的には権利濫用を根拠に、その権利行使を否定する効果を認めています。
上述のように、1条2項の信義則違反と3項の権利濫用の関係については、諸説ありますが、この裁判例が採用しているのは、信義則に反すると権利濫用となるとする見解といいえます。
信義則違反が問題となった近時の裁判例2
次に、信義則との関係で、安全配慮義務違反が問題となった近時の裁判例としては、地方公共団体が設置運営する病院の研修医が自死したのは、過重労働によってうつ病を発症したためであるとして、研修医の両親が、病院設置者である地方公共団体に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求とともに、安全配慮義務に基づく損害賠償がなされた事案(新潟地判令和4年3月25日)があります。
この裁判では、
労働契約において、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う・・・かつ、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の当該注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきで・・・このことは、地方公共団体と地方公務員との関係においても同様・・・被告は、地方公務員が遂行する公務の管理に当たり、当該公務員の心身の健康を損なうことがないように配慮する義務を負うところ、当該公務の管理監督を行う職務上の地位にある者が上記義務を怠った場合には、被告には安全配慮義務違反が認められ、国家賠償法上違法と評価されるというべきで・・・病院は、・・・過重な時間外労働時間及び手術件数等の労働状況を当然把握することができたのであり、しかも・・・病院は、既に平成・・・に労働基準監督署から、時間外労働に関する協定の限度時間を超える労働をさせていたこと等について是正勧告を受けたこともあったのであるから・・・亡・・・が本件病院における業務から相当強度の心理的負荷を感じていたこと、及びその結果、何らかの精神疾患を発症するおそれがあることを十分認識し得たといえるので・・・研修医という立場にあった亡・・・の労働時間を管理監督すべき地位にあった者らは、亡・・・の労働時間を管理し業務を軽減すべき義務を怠ったというべきであり、被告には安全配慮義務違反が認められ・・・る・・
新潟地判令和4年3月25日
と判示しています。
この裁判例では、被告と研修医の労働契約の信義則上の付随義務である安全配慮義務違反を認定しているもので、上記の2の典型例と言い得ます。
信義則違反が問題となった近時の裁判例3
更に、信義則違反が問題となった近時の裁判例としては、リフォーム業者の紹介ネットワークを運営する会社が、紹介ネットワークの加盟会社とその代表者に対し、規約違反などを理由として違約金などを請求した事案(福岡地判令和2年12月24日)があります。
裁判所は、被告が、規約違反行為によって被ったとする損失の実態が明らかではないとした上で、
・・・本件契約は形式的に更新されていたとはいえ,原告は遅くとも令和・・・時点では十分な顧客紹介義務を果たしていたとはいえず,被告会社は一方的に本件契約に基づく各種義務を負担する立場に置かれていたといえる。また・・・同月時点で約4年間にわたり原告から顧客の紹介を受けていなかったという実態に加え,原告は顧客評価の高い加盟工事店を順次紹介しており加盟工事店の評価が低ければ顧客に紹介することはないなどと主張していることも踏まえると,同月時点で被告会社が顧客の紹介を受ける将来的な見込みは著しく低かったといえ,本件契約は遅くとも同月時点では事実上形骸化しており,被告会社において本件ネットワークを退会していると認識していたとしてもやむを得ない状況であったと認められ・・・原告による被告らに対する本件請求は,信義則に反し無効又は権利濫用に当たると認めるのが相当である。
福岡地判令和2年12月24日
としています。
ここでは、契約関係が原告会社の行為などにより形骸化していたと評価でき、被告会社がネットワークを脱会していると考えるのもやむを得ないといい得る状況であったとしています。
このことから、原告会社の違約金請求は認められないとしていることから、上記の3のケースに該当するといえます。
尚、この裁判例では、「信義則に反し無効又は権利濫用に当たると認めるのが相当」と判示していることから、信義則と権利濫用の関係について、「・・又は・・・」の前後の2つの見解を採用していると言い得ます。
「又は」の前の部分では、「信義則に反し無効」と、信義則違反から直接無効の効果を導いています。
一方、「又は」の後の部分は、「信義則に反し・・・権利濫用に当たる」としており、最初の裁判例と同様、信義則違反から権利濫用を介して無効の効力を導いているといえます。