損害賠償請求事件などで期待権が問題とされることがあります。
しかし、期待権は、明文で規定されていないこともあり、その法的意義、位置付けは明確ではありません。
ここでは、期待権の一般的な定義に触れた上で、期待権が争点となった裁判例をみながら、その適用範囲について解説します。
目次
期待権とは
期待権とは、
- 将来の一定の事実の発生により
- 将来、一定の法律的利益を受けることが期待できること
と考えられています。
本来、その「将来の一定の事実の発生」がない限りは、「将来、一定の法律的利益受ける」ことはできないはずです。
しかし、期待権は、その条件が未成就の段階において、将来の利益の享受への期待を一定範囲で保護するものです。
期待権が主張される局面について
期待権は、上記のように、将来一定の利益を成就しうる地位を保護するものであることから、第三者が、
- 将来の一定の事実の発生を妨げたとき
- 一定の法律的利益の発生を妨げたとき
などに、その第三者の行為が、期待権を有する者との関係で問題となります。
第三者の当該行為が、期待権への侵害行為ととらえることができるのであれば、その侵害行為は、期待権を有する者への不法行為として、損害賠償の問題となりえます。
実際に、
- 医療過誤事件
- 内々定取消しなどの労働事件
など幅広い事件において期待権侵害を理由に損害賠償請求がおこなわれています。
以下、期待権が争点となった医療過誤事件の判例および裁判例、ならびに内定類似状態、あるいは内々定の取り消しが争点となった労働事件の裁判例をみてみます。
期待権侵害が問題となった医療過誤事件1
手術の合併症が発生し、後遺症が残ったのは、手術当時の医療水準にかなった医療行為を受ける期待権の侵害であるなどとして、不法行為に基づく損害賠償を求めた裁判の上告審(最判平成23年2月25日)では、期待権侵害と不法行為責任に関し、
患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に,医師が,患者に対して,適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは,当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである
最判平成23年2月25日
と判示しています。
この事例では、期待権の侵害のみを理由として不法行為責任を検討する余地はないとされていますが、判決文からは、医療行為が著しく不適切なものである事案においては、期待権侵害が不法行為となり得ることがわかります。
期待権侵害が問題となった医療過誤事件2
医師が入院治療を検討すべき注意義務を怠ったことにより、患者が死亡したとして、医師らに対し損害賠償請求を求めた事件(大阪地判令和3年2月17日)において、裁判所は、
・・・①ないし③の各注意義務違反または故意行為は,いずれも・・・診療契約に基づく適切な医療行為を受ける期待権を侵害するものであるところ,患者が適切な医療行為を受けることができなかった場合に,医師が,患者に対して,適切な医療行為を受ける期待権の侵害のみを理由とする不法行為責任を負うことがあるか否かは,当該医療行為が著しく不適切なものである事案について検討し得るにとどまるべきものである(最高裁判所平成21年(受)第65号同23年2月25日第二小法廷判決・集民236号183頁参照)。
大阪地判令和3年2月17日
として、上記の最高裁判決を引用しています。
その上で、
・・・そうしたところ・・・①の注意義務違反については・・・ある程度の診察によって所見を得ていたというのであるから・・・医療行為が著しく不適切なものであるとまではいえない。
大阪地判令和3年2月17日
・・・③の行為は・・・それ以前から実施されていた・・・と同内容のもので・・・有害無益な医療行為が追加されたとか,必要不可欠な医療行為が中止されたり,着手されなかったりしたわけではない・・・(ので、)著しく不適切な医療行為であるとはいえない。
として、問題となった3つの行為のうち、①と③の行為は期待権を侵害する行為ではあるものの、著しく不適切とまではいえず、不法行為責任を検討しうるものではないとしています。
しかし、②の行為に関しては、
・・・②の注意義務違反にあっては・・・病に罹患していると判断されるべき状況においても・・・症状への対症療法的な投薬をするにとどまり・・・病と診断した形跡すらないのであって,このような本件における医療行為の内容及び態様に鑑みれば,上記注意義務違反に係る被告Y1の医療行為は著しく不適切なものであるというほかない。・・・したがって・・・適当な医療行為を受ける期待権は・・・著しく不適切な医療行為である・・・②の注意義務違反により侵害されたものと認めるのが相当で・・・不法行為責任を負うものというべきである。そして,上記期待権侵害の態様とこれによる侵害の内容や程度等本件に顕れた一切の事情を勘案すると,その慰謝料額は,60万円とするのが相当である。
大阪地判令和3年2月17日
と判示しています。
ここでは、②の行為は著しく不適切な医療行為に該当するとして、不法行為責任を負いうるものであることを前提に、期待権侵害に対し、慰謝料を認容しています。
このように、問題となる行為が、適切な医療行為を受ける期待権を一定程度侵害するものであった場合でも、すべてのケースで不法行為責任が生じ得るものではなく、その期待権侵害行為が著しく不適切なものであった場合にのみ不法行為責任を負うこととなります。
内定類似の取消しが問題となった裁判例
採用内定により、始期付解除権留保付労働契約が成立すると考えられていることから、内定取消しは、一種の労働契約の解除の問題として扱われることとなります。
しかし、正規の内定成立とまではいえない内定類似の状態の取消し、あるいは内々定段階での取消しに関しては、始期付解除権留保付労働契約は成立しておらず、労働契約の解除には該当しません。
そのような局面における取消しについて、ここではみていくこととします。
まず、内定類似状態の取消しが問題となった事件として、採用してもらえるが、職種が異なるのでビザの申請が通ると断言はできない旨のメールを受信していた者が、そのメール受信後就職活動を止めて面接に備えていたものの、採用されなかったという事案(東京地判令和3年9月29日)において、裁判所は、
前記認定事実によれば・・・社を通じて・・・採用する旨の連絡をし・・・履歴書等の提出を求めるなどしていたことから・・・原告・・・は,その頃までに,被告による面接を経て採用され,同年4月から被告において勤務することができるという法律上保護すべき期待権を有していたと認めるのが相当である。
東京地判令和3年9月29日
・・・その後・・・原告・・・を採用するという話も立ち消えになったというのであるから,被告の一連の対応により上記期待権が侵害されたというべきであり,被告の上記対応は原告・・・に対する不法行為を構成するというべきである。
と判示しています。
内々定取消しが問題となった裁判例
一方、内々定取消しが問題となった裁判の控訴審(福岡高判平成23年3月10日)においては、
・・・控訴人(会社)は,平成20年7月30日に内々定の通知をした被控訴人(求職者)・・・を控訴人事務所に呼び・・・控訴人による採用が確実であるかのような発言を行い・・・その後にも・・・採用内定通知書授与の日を連絡し,被控訴人が控訴人から採用されるであろうとの期待を強めて,同授与の日に着用するためのスーツを新調するなどの準備を進めていたことからすると,被控訴人としても,控訴人から本件内々定取消しの可能性等についての正確な情報が伝えられていれば,再度就職活動を行ったと考えられる上,控訴人の上記のような対応によって,控訴人との間に労働契約が確実に締結されるであろうという被控訴人の期待が法的保護に値する程度に高まっていたと判断するのが相当で・・・本件内々定取消しについての控訴人の対応は,上記のように法的保護に値する程度に高まった労働契約締結に向けての被控訴人への期待に何ら配慮したものではなく,誠実なものであるとはいえない。
福岡高判平成23年3月10日
としています。
その上で、損害額に関しては、
本件内々定によって内定(始期付解約権留保付労働契約)が成立したものとは解されないから,控訴人の本件内々定取消しによって,被控訴人に内定の場合と同様の精神的損害が生じたとすることはできないが・・・採用内定通知書授与の日が定められた後においては,控訴人と被控訴人との間で労働契約が確実に締結されるであろうとの被控訴人の期待は,法的保護に十分に値する程度に高まっていたこと・・・被控訴人が本件内々定取消しによって受けた被控訴人の精神的損害を填補するための慰謝料は50万円と認めるのが相当である。
福岡高判平成23年3月10日
と判示し、期待権侵害に対する慰謝料請求を認容しています。
ここでは、内定段階と内々定段階では、その取消しにより被る精神的苦痛は異なると判示しています。
このように、期待権の保護の程度は、契約締結に向かうプロセスの進捗により異なるものと考えられています。
尚、内定と内々定および内々定取消しに関しては、下記の記事で解説しています。